(読む価値があまりないと思いますので、あしからず…。)

私は27くらいのときに手帳に人生の目標を事細かに記載し、それを達成することに全身全霊を捧げてきた。

私は不器用で、平凡で器の小さい人間なので、たいした人生を送ってはいない。そして、長い嵐の中にいたときもあり、体調を壊したときもあったが、手帳に書いた目標はある程度達成できた。当然、その結果を得られるだけの努力をしてきたので、その点は、よくがんばったなあと思う。(振り返ってみると、同じ努力はもう絶対にしたくない。)

しかし、私はあるミスを犯した。
それは、目標を44歳までしか書かなかったのである。
その結果、現在ではなんとなく目標がぼやけてしまった。
今でも精力的に原稿を書いたりしているが、少し方向性を見失っている感がある。
自分らしいことをしたいのであるが、具体的なものが見えないのである。
これは、目標を書かなかったのた一つの理由だろう。

でも、それだけが理由ではない気がする。パワーがみなぎっているのであれば、次の目標を書き足せばいいだけだ。
こうなった要因の一つとして、年とともに、生き方や考え方も変わってきているのかもしれないと感じた。

食事も急いで食べ、旅行や飲み会にもいかず、がむしゃらにパソコンに向かっている人生も正解だが、そうじゃない人生も正解という思いが強くなったのではないかと思うのだ。
適当に仕事をする人に腹を立てず、「まあ、人それぞれ」と割り切るのも大事である。

外山 滋比古さんの「老いの整理学 (扶桑社新書)」には、次のようにあります。
「いやなことは、”知らぬがホトケ”。運悪く知ってしまったら”忘れるがカチ”。これは決して無責任ではない」
老いの整理学 (扶桑社新書)
外山 滋比古
扶桑社
2014-11-01

また、弘兼 憲史さんは「男子の作法」の中で、こう述べています。
「僕は幸せになるための3つの信条として、「まあいいか」「それがどうした」「人それぞれ」ということを言ってきた」
また、「まあいいか」とストレスを感じないように生きることで、70歳まで大きな病気もされなかったようです。
男子の作法 (SB新書)
弘兼 憲史
SBクリエイティブ
2017-01-06

SEは高い品質を求める職業ですから、細かいところまできっちりしてしまいます。
しかし、「まあいいか」と、少し雑な考えを持つことも、幸せな人生を送るには大事なのかもしれません。