SE100人に聞いたシステムエンジニアの仕事 - 仕事内容とその魅力

SE(システムエンジニア)100人に聞いたアンケート結果を中心に、SEの仕事内容の実態やSE"あるある"話を紹介します。

カテゴリ:3.SEコラム > 3.6 人事・評価




親戚のおじさんである島専務が、就職する島耕作に仕事について語っている。
「おまえの一番苦手なタイプの人間が隣の席に座っているかもしれない そういう人間とも一緒に仕事をしなければいけないんだ それが社会だ」
これ、本当にそうなんです。学生のうちは、嫌いな人とは無理して付き合う必要もない。嫌なサークルやバイトなら辞めればいい。でも、社会人はそうはいかない。毎回辞めるわけにもいかないし、どこにいっても、嫌な人はいる。
「1つの組織に死んだいい人は少なくとも3人はいる」というのが、(言葉は悪いですが、)私の先輩の名言(?)です。そういう人が上司だったりすれば、一緒に仕事するしかない。

SEという仕事も同じだと思う。人間関係を完全にシャットアウトすることはできない。コンピュータに向かう時間が長いかもしれないが、上司やお客様は絶対に存在するわけで、そういう人とうまくやっていくのがサラリーマンの務め。なんか、寂しくなりますね・・・・

そして、この本では、出世のノウハウを享受してくれる。たとえば、
・新入社員で上司のグチをいうような連中とは群れをさない。

・「周囲から嫌われている部長クラスの人間がいたらそういう奴にこそ自分から近づいていけ」
意図は、反面教師として、そして、(嫌われているにもかかわらず出世したので、
)優れたところを参考にする。

・「ゴルフをやれ」
意図は、「上の人に名前を覚えられるいい機会になる」


私は、どれも守れていない気がする・・・。そして、出世は全くできなかった。
でも、だからといって不幸だとも思っていません。(負け惜しみに聞こえるかもしれませんが)

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SE(システムエンジニア)の仕事に携わる皆さんにアンケートを採ってみたいと思う。ただ、かなりばらつくので、フリーアンサーがいいかと思っている。
出世というものは、仕事ができてはじめてもたらされるものである。であるから、順当な答えは以下が想定される

・人望がある
・受注をとってこれる
・圧倒的な技術力がある
・マネジメント能力やリーダーシップがとれる

しかし、実際にはそうとも限らない気がする。
「あれ、こんなに仕事ができない人が」と不満に思う人も結構いる。しかも大出世していたりするのだ。
でも、そんな彼らにも、なにか能力があると思う。
たとえば、
・話がうまい
・要領がいい
・タフ
・上司に従順
・身だしなみがきちっとしている
・我慢強い

などなど
SE(システムエンジニア)の皆さんに、タイミングを見て、聞いてみたいと思う。

私の同級生の超出世している人(SEであったが、今はSEとは呼ばれないだろう)は、仕事も当然できると思うが、「こだわりがない」という印象がある。
自分の主張をあまりせず、周りに調和している。「ご飯どこ行く?」と聞くと、「どこでもいい」という感じである。嫌な仕事であっても、「仕事だから好きも嫌いもない」という考えである。

納得させる話力
土田 晃之
双葉社
2015-03-21

この本には、「テレビ局とかで見ると、現場で能力が高い人より、上の人に気に入られる人とかが上に行きますから。だから会社で出世するってことは、仕事ができる・できないっていう能力だけではないと思うんです」とある。
このことは、どんな会社でも同じなんだろう。

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SE(システムエンジニア)もサラリーマンであるから、異動はつきものである。
そんな異動であるが、異動はときに人生を変えることがある。
異動により、仕事の内容、職種、勤務地、役割、人間関係、多くのものが変化する。
勤務地変更で遠方なる場合には、その家族にも影響がでる。
一緒についていくか、単身で行ってもらうか。後者の場合にも、生活は変化が起きるだろう。

その人事権を持つのが上司だ。
どんな異動も、その人の考え方ややり方次第で、すべて成功になるだろう。だから、どんな人事をしようが正解という理屈もある。
しかし、現実論ではそうとは限らない。

上司の中に、このことを真剣に考えてくれる人がいる。
「人生を左右する」、その覚悟で人事をしてくれているのである。

当然、厳しい人事もする。
転居を伴う異動や厳しいお客様の担当につくこともある。
でもそれは、嫌がらせ人事ではない。そのSE(システムエンジニア)の成長を考えてのことだ。

 また、あえて昇進させないことを選ぶ場合も上司もいる。
もう少し経験させたりという理由もある。
ときに、管理者になるよりも、現場SE(システムエンジニア)の方が向いているとか、家庭環境を考えて、仕事の負担を軽減させるためだ。

人生は人それぞれであるし、正解は無い。
どんな道もすべて縁なのではあるが、少なくとも、上司が真剣に向き合ってくれているというとき、部下のSEはとてもうれしいものだ。

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あたりまえのことですが、たなぼたの大型受注もあるだろう。しかし、、たなぼたを経験してしまうと、まじめにこつこつやることがばからしくなってしまうかと思う。株で大儲けした人は、時給数百円でコツコツ働くことに抵抗を感じるだろう。
元中日監督である落合博満氏の著書「采配」(ダイヤモンド社)には、「実力第一、成果主義、好き嫌いで人は使わないとはいえ、チャンスをつかめるかどうかには運やタイミングもある。」と述べられている。これは上司からみた冷静な評価だと思う。
采配
落合博満
ダイヤモンド社
2011-11-17


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会社の評価は悪いよりいい方がいい。
出世もしないよりはした方がよい。

そんな単純な理屈ではなく、日本をしょってたつ、会社をしょってたつことを考えて出世をしたい人もたくさんいるだろう。社長島耕作のイントロに、社長の考えとして確か「社会貢献」のためのようなことが書いてあった。

また、「渡邉恒雄メディアと権力」(講談社)には、「渡邉さんは中曽根さんにいつもぴったり寄り添っていた。二人の共通点は一種の理想主義者だということです。二人の理想は権力がなければ得られない。だから必然的に権力志向になる。生き方が同じなんですね」と述べられている。
つまり、世の中をかえるようなことをするには権力(=出世)が必要ということだろう。
そのような強い気持ちで仕事をする人が、日本を支えていると思う。

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単に出世欲がないという人以外に、管理者のデメリットを嫌がる面があるようだ。例えば、仕事がしんどくなる。嫌な調整業務が増えるなどであろうか。その気持ちはとてもよく分かる。ただ、何かを得ようとすれば、何かを失うもの。管理者になるということは「出世」という言葉で単純に表されるものではなく、社員にいい環境を作る。会社の重要な意思決定を行い、会社に貢献する。そして社会に貢献する。それが仕事だと思う。
一部の嫌な面だけで、「なりたくない」と考えるのは少し残念な気もする。
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でも、一回きりの人生ですし、楽しまなくてはいけません。
何が幸せか分からないですね。

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森永卓郎氏の「新版年収300万円時代を生き抜く経済学」(光文社)にショッキングな現実が述べられている。「ひとつだけどうしても言っておきたいのは、『これから日本が市場原理主体の社会に変貌する中で、能力や成果が正当に評価されるようになるのだから、きちんと仕事で成果を出していけば、それが出世に結びついていく』と考えるのは、完全な誤りだということだ。」と述べられている。ライバルを蹴落としたり、上司に取り入る、人の手柄を横取りするなどが必要というのだ。

また、「渡邉恒雄メディアと権力」(講談社)には、「渡邉さんは自分に頭を下げてくる人間にはそれなりの分け前を与える一方で、刃向かってくる者は徹底的にやっつけた。その世界でボスになる戦術戦略をよく知っていたんだね」と述べられている。

これをできるSEがどれほどいるだろうか。いや、出来るとしても、このことに価値を見出す人がどれくらいいるかと思う。少なくとも私はそんなことをして出世をしたいとは、これっぽっちも思わないし、森永さんもその点では同じ考えかと思う。

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天気みたいなこととは、コロコロ変わるし、いい加減ということ
人間には好き嫌いがあり、例えば好きな芸能人で上位に入るような人は、嫌いな芸能人としても割とノミネートされる場合がある。同じ人間なのに、人によって評価はマチマチなのである。ブッシュ大統領は、50.1対49.9くらいの僅差で大統領になったが、約半分の人は反対しているのである。東京都副知事で作家の猪瀬直樹さんは著書の「突破する力」にて、「まず意識したいのは、周りの評価を鵜呑みにしないことです。実は、人の評価ほど当てにならないものはありません。」と述べられています。評価は天気のようにコロコロ変わるのです。
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野村元監督は、「他人の評価が本当の評価」という主旨を堂々著書で書かれてる。
言ってることは合ってると思う。
どちらが正解かな?



どちらも正解だと思う。
評価のためにやるのではなく正しいと思うことを本気で取り組むことが大事でしょう。それが本物であれば、時間はかなりかかるでしょうが、いずれは他人の評価もついてくると思います。作家の猪瀬さんや野球の野村さんとSEで大きく違うのは、世界にアピールできる明確な評価がSEにはないことです。作家であれば賞や本の売上があり、野球でいえば目に見える数字がある。SEの評価は、人望や信頼などがありますが、それは客観的に評価しにくい。明確なのは人事評価による地位になる。それ以外は、資格、雑誌やwebサイトでの連載、本の執筆などくらいしかないかもしれない。人に認められることによるモチベーションは少なからずあるので、こういったものにチャレンジしてもらうのもよいかと思う。

桑田真澄氏の「心の野球 超効率的努力のススメ」(幻冬舎)には、評価に関して次のように述べられている。
「ピッチャーの商品価値は、監督やコーチの価値観に左右されてしまう。このピッチャーを使うか、使わないのか、商品価値は各々の基準で決まってしまうんだ。同時に、他人の評価を気にしてそれにあわせようとすると、自分を見失ってしまうことにもなる。」
「人の評価ほど曖昧なもの、いい加減なものはないから。だって、それを評価している人間自体が完璧ではない。この世の中に「完璧な人間はいない」から」
うーん。いい言葉だ。

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技術的には文句なし、仕事ではなくてはならない人でトラブルや大規模案件では絶対必要、間違ったことが嫌いで、正義感が強い。そんな素晴らしいSEが会社で高い人事評価を受けるかというと違う気がする。むしろ逆だったりする。仕事ができるから上司にも事実に基づいた意見を言えるが、上司からするとそれが煙たいときがある。また、正義感が強いと折り合いをつけにくく、ぶつかることもある。「バカな上司に媚びを売って出世をするより、出世しない方がまし」と心底思っている。それはそれで潔い。会社の評価は悪くても、できるSEで同僚や世界から認められている人たちがいる。そういうSEがもっと評価され、陽の当たる時代がこないものかと願うばかりである。同じSEとして。 また、「ハロー効果」がある。ある人の一面がよければ、他も良いと思うこと。逆もある。これは人間だから仕方ない。例えば毎日の報告がきちんとできるから、PJの仕事もしっかりやっているんだろうと考えるのは自然かもしれない。報告はするけれど中身がなっていないSEは山ほどいる。

JRの葛西会長の著書「明日のリーダーのために」には、以下が述べられている。「上司や部下、あるいは交渉相手との距離を測り、その期待に応えて評価を求めるのではなく、自分の座標軸を持ち、自分の座標軸によって自分の座標を定め、方向を判断し、自分の責任において行動する。それがベストの方法です。他人から評価されて自己の存在価値を図ろう。あるいは支えようとする者は、常に失敗する」と。JRの葛西会長と1SEの仕事を同じレベルで考えることはできないが、「自分の座標軸によって自分の座標を定め」ているSEというのは、骨があるSEではないか。

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一緒に仕事をしていて、能力が高いと思う人はたくさんいる。「この人すごいな」と思うと同時に、能力を生かしきれていないのではないかと余計なお世話的な事も思う。一方で、特に目立った感じでもない人が、高い志や立派な考え方をして、責任ある仕事をたくさん任せられている事もある。あらゆる本に書かれてある事だが、どこに目線をおくかによって、日々の生活は変わるし、得られる結果も変わる。

そういえば、青木さやかさんが胸のあたりをおさえながら「どこ見てんのよ!」と言っていた。あのネタは結構好きであった。

ボクシングマンが「はじめの一歩 93巻」で鷹村が「どこを見ているかで飛ぶ高さが変わる」と言っていたのにはハッとさせられた。
楽天の三木谷社長は著書の「成功の法則92ヶ条」にて、「月に行こうという目標があったから、アポロは月に行けた。飛行機を改良した結果、月に行けたわけではない。」これぞまさに目線である。

年収を今より少し増やしたいと思って頑張っていては、その通りにしかならない。10億稼ごうと思ったら、全く違うやり方を考えるしかなくなる。

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